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石上露子生誕祭 富田林の6月は芸術と文化の彩りです。

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〒584-0086 大阪府富田林市

毎日新聞夕刊に掲載されるabout

毎日新聞夕刊に掲載される
2016.5.20(金)

一般社団法人 露香会会報about

2015.9.1 創刊号発行

露子略年賦about

蝶ならば袂(たもと)あげても撲(う)たむもの 幸なう消えし恋の花夢    石上露子


本名・杉山タカ 明治15年6月11日大阪府石川郡富田林村に地主で 酒造業を営んでいた団郎・奈美の長女として誕生。明治15年〜昭和34年(1882〜1959)

石上露子略年譜   『石上露子を語る集い』
年  号       歳   備      考
明治15年(1882)  1歳 6月11日、大阪府石川郡(後に南河内郡)富田林村に生る。
             父杉山團郎諱は正美(1857生)母奈美(1864生)の長女。孝(タカ)と命名。
明治17年(1884)  2歳 8月7日、父の異母妹親(チカ)出生、祖父長一郎
             (日下、河澄家より入婿)とその後妻英(エイ)との末女。
明治18年(1885)  4歳 10月28日、妹清(セイ)出生。
明治19年(1886)  5歳 3月12日曾祖母美禰(1802生)歿。
明治24年(1891) 10歳 父の異母妹暢(ノブ1875生)養子を迎へて分家(北杉山家)を創立。
明治27年(1894) 13歳 母生家(日下、河澄家)へ去り、前年同村田守家より養子に迎へた
             三次(1876生)も7月離縁(入籍は同年3月)。9月15日、祖父歿。
明治28年(1895) 14歳 継祖母英のすすめで英の実家、大阪市東区今橋1丁目山本三四郎宅
             より堂嶋女学校へ通学する。間もなく梅花女学校に転校、
             暫くで退学自宅に帰
明治29年(1896) 15歳 父再婚。小西エイ(1865生)入嫁。
明治30年(1897) 16歳 4月、父の異母妹象(キサ1881生)八尾、西尾家に嫁す。
              5月神山薫を 家庭教師に迎へる。
明治33年(1900) 19歳 4月『明星』創刊。5月『婦女新聞』創刊。皇太子御成婚に賑わう
              東京見物に神山薫引率、親、清、女中二人と上京。神山の遠縁に
              当る長田正平(東京高等商業学校在学中)と相識る。
              夏休暇に長田、杉山家を訪問。同じ一行で紀州各地を旅行す。
明治34年(1901) 20歳 1月、冬休暇に長田正平来訪。この春、神山薫と東北地方を旅行。
              夏から 秋にかけて東京麹町紀尾井町3番地長田方に長期滞在。
              秋、父の異母妹親、 大和五条、山縣家に嫁す。
             11月、『婦人新聞』第六号に小説「宵暗」 (署名 夢遊庵)
明治36年(1903) 22歳 妹清、瓜破、大谷倍太郎に嫁す。4月、仙台の雑誌『朝暾』
             (宮崎旭涛主幹)に「園守」(署名 夕ちどり)。
             9月、『婦人世界』第28号に小説「親なし子」(署名 露子)。
             この頃新詩社に入社、『明星』卯歳第10号「社告」に入社を報道し、            はじめて石上露子の名で短歌3首掲載さる。
             11月15日、週刊「平民新聞」創刊。
明治37年(1904) 23歳 1月、『明星』辰歳第1号に短歌6首。
              2月、同第2号に短歌4首、美文 「日記より」。日露戦争。
              4月、同第4号に美文「かげろふ」・短歌4首。
              5月、同第5号に美文「夕」・短歌4首。
              6月、同第6号に美文「おもかげ」「追憶」・短歌3首
             (署名 ゆふちどり、目次には石上つゆ子)。
              7月、同第7号に短歌5首(署名 ゆふちどり、目次には石上つゆ子)。
              9月、同第9号に短歌6首(署名 ゆふちどり)。10月7日妹清歿す。
              11月、同第11号に短歌5首(署名 ゆふちどり。12月、
              同第12号に短歌5首(署名 ゆふちどり)。
明治38年(1905) 24歳 1月29日、『平民新聞』64号で終刊。
              3月、『明星』巳歳第3号に短歌7首(署名 ゆふちどり)。
              11月、同第11号に短歌9首。
              同20日の赤十字社第13回総会に出席のため上京、
              24日、千駄ヶ谷新詩社に輿謝野夫妻を往訪。25日夕退京。
明治39年(1906) 25歳 4月2日、浪華婦人会主催慈善音楽会中之島公会堂にて。
              5月、鈴木鼓村来訪。『明星』午歳第5号に短歌5首。
明治40年(1907) 26歳 1月15日、日刊『平民新聞』創刊。
              7月8日、継祖母歿。『明星』未歳第11号に短歌9首。
              12月同12号に詩「小板橋」(署名 ゆふちどり)
              12月17日、奈良県磯城郡川西村結崎の片山太郎弟荘平
             (片山太平三男、大正3年長三郎と改名)を迎へて結婚。
明治41年(1908) 27歳 『明星』申歳第1号の短歌5首を最後として夫の強要により
              文筆活動を停止。
              5月、同第5号「社中消息」に退社の報道を見ゆ。
              11月『明星』終刊。
明治43年(1910) 29歳 2月9日、長男善郎出生
明治44年(1911) 30歳 5月17日、父歿す。
              8月5日、長女禮(レイ)出生。  9月2日夭折。
大正 2年(1913) 32歳 長谷川時雨、『読売新聞』7月3日号に
             「明治美人伝(第9回)石上露子」を執筆。
大正 4年(1915) 34歳 4月5日、大阪、緒方婦人科病院で次男好彦出生。
             (のち戸籍上3月30日生と訂正)
大正 6年(1917) 36歳 春、緒方病院で人工流産、衰弱甚し。
              5月、緒方助産婦学会発行『助産之栞』
              第252号に随筆「流産」を寄稿。
大正 7年(1918) 37歳 6月、長谷川時雨著『美人伝』刊行。
大正 8年(1919) 38歳 3月、生田春月編『日本近代名詩集』に「小板橋」採録。
昭和 3年(1928) 47歳 4月、長男四高(金沢)入学。
昭和 5年(1930) 49歳 3月、『冬柏』創刊。
昭和 6年(1931) 50歳 4月、長男京大に、次男三高に入学。京都に母子の家庭を営む。
              作歌活動再開。『冬柏』第2巻第9号に「京の家」19首、
              第10号に「浮舟」19首、 第11号に「洛東の家」9首。
昭和 7年(1932) 51歳 『冬柏』第3巻第2号に「京の家」19首、
             第4号に「京の2月」17首、第5号に「心の跡」16首、
             第6号に「行く春」18首、第7号に「忘れ草」 15首、
             第12号に「洛外遊草」19首。11月9日、
             輿謝野寛を迎へ鞍馬に催された『冬柏』同人の歌会に出席。
昭和 8年(1933) 52歳 2月、輿謝野寛満60歳誕辰賀歌『梅花集』に2首。
             『冬柏』第4巻第3号「京の家」9首、第4号に「京の片蔭」17首、
             第6号に「京より」19首、 12月第5巻第1号に「秋の名残」19首。
昭和 9年(1934) 53歳 3月、長男京大卒。4月、次男東大経済学部入学。
             『冬柏』第5巻第8号に 「京より」16首、10月、夫、隠居。
              長男家督相続。12月1日、京都を去って浜寺に帰る。
昭和10年(1935) 54歳 『冬柏』第6巻第1号に「京に別る」15首、第5号に「高師の浜」9首。
昭和13年(1938) 57歳 熊谷武至『水甕』6月号「歌集解題余談抄」(58)に明星時代の短歌を紹介。
昭和14年(1939) 58歳 10月、長男、隠居。分家してゐた次男、兄の養子となって家督相続。
昭和16年(1941) 60歳 12月17日、長男歿。12月25日、継母歿。
昭和18年(1943) 62歳 島田謹二『愛書』第15輯に「石上露子集」と題し
              明星時代の作品に略注を付して掲載。
昭和19年(1944) 63歳 3月、次男航空本部附きとなりジャワより帰還。
              9月、次男、親戚山口氏の媒酌で和歌山加太出身の幸前家の女ゆき子と
              東京で結婚(翌年離別)。結婚式に参列の為14日上京、
              18日、浜寺に帰る。
昭和20年(1945) 64歳 4月14日、夫歿す。8月15日、終戦。吉田精一『芸苑』9月号に
             「近代 秀歌鑑賞3・石上露子」を執筆。
昭和21年(1946) 65歳 12月3日、浜寺の家を去って富田林旧宅に老女中と二人帰る。
昭和22年(1947) 66歳 11月、佐藤春夫・島田謹二・吉田精一共著『近代抒情詩選歌さうび』に
             「小板橋」を採録。(解説鑑賞島田謹二)
昭和24年(1949) 68歳 3月、次男隅田京と結婚。
昭和25年(1950) 69歳 3月6日、孫隼一出生。『婦人公論』3月号「薄命詩人作品集」に
             「小板橋」 (吉田精一編)。
              6月、日夏耿之介編『明治大正新詩選・上』に「小板橋」収
昭和26年(1951) 70歳 3月、佐藤春夫編『明治詩選』(詩人全集)に「小板橋」収録。
              8月より大阪学芸大学教授津田秀夫、河内郷土文化研究会による
              古文書調査、大阪市住居学教室による建物調査開始。
              10月21日、孫八彦出生。
昭和27年(1952) 71歳 松村緑『国語と国文学』7月号に「石上露子実伝」を執筆。
             10月13日、 脳出血で倒れ、臥床半歳。
昭和28年(1953) 72歳 4月、岡崎義恵・松村緑共編『要註近代詩選』に「小板橋」収録。
昭和30年(1955) 74歳 2月、家永三郎『明治大正文学研究』第15号に「石上露子日記に
              ついて… 明星派歌人と社会主義思想との交渉」を執筆。
昭和31年(1956) 75歳 3月4日、次男浜寺の家にて自殺。
              11月、松村緑、東京女子大学『日本文学』第7号に
             「『美人伝』の一資料」と題して露子宛時雨書簡を紹介。
昭和34年(1959) 78歳 10月8日、午後脳出血で急逝。戒名、徳操院釈尼常教。
              11月、松村緑編 『石上露子集』中央公論社より刊行。


昭和35年(1960)     松村緑『短歌研究』10月号「名作と解説・明星派五人百首」に
              短歌20首を選出。
             『群像』12月号に随筆「河内野の白菊」を執筆。
              11月、山縣親子歌集『あゆみ』刊行。
(この年譜は、松村緑作成のものです。松本和男作成のものと多少異なります。)

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